Albert Ostermaier: LetzterAusruf (edition suhrkamp 2002)  

アルベルト・オースターマイヤー 『最終アナウンス』について

初演:2002年4月 ウィーン・ブルク劇場 演出:アンドレア・ブレート

寺尾 格
作者は1967年ミュンヘン生まれ。ここ数年で急速に劇作家としての活躍が目立つが、同時に詩人としても有名で、何冊かの詩集も出している。2003年5月の雑誌Deli 創刊準備号に「オリヴァー・カーンを称えて」という詩が邦訳され、簡単な解説もなされている。1995年のリヒテンシュタイン・ペンクラブ・叙情詩賞以来、数多くの文学賞を受賞。本作品は2000年ハイデルベルク劇作家賞を獲得し、昨シーズンのベスト戯曲でも、ルネ・ポレシュ(13票)に続く第二位(6票)を占める。若手の劇作家として、目下の注目度は非常に高い。
 場面は一貫して国際空港で、そこのトイレ、ホテル、荷物受取所、エレベーター、駐車場等々。重要なのは空港ホテルのバーで、それぞれの場面に現れる男女が、ここで意味深な対話を取り交わし、カッコイイ、プロのバーテンがそこに絡み合う。
主人公のレオは、飛行機の最終便が出ると空港に現れ、翌朝の第一便が出る頃には消える生活を続けており、外の現実とは関わらず、空港という「常に途上」の場所にのみ存在して、行きずりの旅行者との一期一会の会話のファンタジーをフィクションとして楽しむ。しかし展開される物語は決してノンビリした会話の夢物語ではなく、麻薬、売春、不倫、隠し撮り、マフィアの裏切り等々と、一種の裏世界が、一応はリアルに描かれる。ただしひどく安手の三文スリラー・テレビドラマのような嘘くささもあり、それが「空港」という非現実空間と上手に対応している。
冒頭、空港のトイレで男が一人、ほとんど錯乱しながら何事かを毒づいている。どうやら最終便に乗り遅れたらしいのだが、それ以外にも何かの事情があるらしい。そこに主人公?のレオが現れ、「どうしたんだ?まあ一杯やろう」とバーに誘う。ここから、10人ほどの男女を中心とした、三幕17場からなる殺人スリラー劇が始まるのだが、構成は著しくアンバランスで、全体が映画的なカット・ショットの連続と言える。場面および登場人物相互の連関は、台詞の断片をつなぎ合わせれば、かろうじてぼんやりとは把握できるものの、決して論理的に説明されきることなく、何となく曖昧なまま、思わせぶりな台詞と場面だけが、あたかも自明であるかのように次々と展開する。最後はそれなりに結末がついているような、ついていないような宙ぶらりんの状態で幕となる。

 殺人スリラー劇との外観にもかかわらず、「誰が、誰を、何のために」殺すのかという肝心な点が全く明確にはならず、場面が進むに連れて様々な可能性が現れては消える。それが速いテンポの台詞のやりとりと場面転換で続くわけで、あたかも飛行機の離発着の慌ただしさのように、ということになるのだろうか。酒を飲みながら、バーテンと暇つぶしに交わす冗談のような話が、実は互いの複雑な相互関係を説明して(いるように見え)たりもする。過剰なほのめかしがいくつも重なることで、謎は深まるばかりとなり、ついには何が何だか訳がわからないままに、殺人だけが唐突に(「人違いだ!」)起こってしまう。

嘘くさいスリラー仕立てにもかかわらず、現代の空虚さへの皮肉な寓意とも言える登場人物の構成や、皮肉な対話、錯乱した台詞等々の言語的造形などは、かなり巧みである。このような「謎」の自己肥大的設定と男女の皮肉な対話は、すぐにボート・シュトラウスの作品群、特に『ヒポコンデリーの人々』を思い起こさせる。単にそのような印象を与えるのみならず、明らかにボート・シュトラウスを典拠とするような台詞(「距離が近くなればなるほど、それは乗り越えがたいunueberwindbar。」)も見られる。そのあたりも気になる作品ではあり、作者は、果たして単なる一過的な流行に終わるのか、あるいは大きく化ける可能性も無しとしないだろう。

作品紹介に戻る


 HOME