ドイツ演劇プロジェクト2005

 寺尾 格(専修大学)

 「誰も知らない」という言い回しが、当初つねに枕詞のように付けられていた「日本におけるドイツ年」も、すでに半ば以上を過ぎた。映画や美術、建築や文学等々、様々なジャンルにおける活動のおかげで、ドイツ年も「それなりに」知られる程度にはなったかと思われるのだが、どうだろうか。
 とはいえ、「日本における」ドイツ現代演劇の世界では、今年、2005年が画期的な年となるのは確実で、なにしろ毎年の定番、ピナ・バウシュのタンツ・テアター公演はともかく、今が旬のベルリン演劇、つまりフォルクスビューネ、シャウビューネ、ベルリーナー・アンサンブルの公演が既に行われ、ドイツ座の公演が来年三月に予定されているからである。ベルリンを代表する四つの劇場の舞台が、同時代性を保ったまま、その多様な問題性を含んで、まとめて日本で紹介されるのだから、やはり画期的と言えるだろう。
 フォルクスビューネの『終着駅アメリカ』(カストルフ演出、初演2000年)の錯乱、シャウビューネの『ノラ』(オスターマイヤー演出、初演2002年で、その年のベスト演出となっている。)のスピード感、『火の顔』(同、初演2000年)の閉塞、ベルリーナー・アンサンブルの『アルトゥロ・ウィの興隆』(ハイナー・ミュラー演出、初演1995年)の怪演と続き、ドイツ現代演劇の迫力が、今後の日本の演劇界にジワジワとしみ通ることを期待したい。
 ちなみに三月に予定されているドイツ座の『エミリア・ガロッティ』はタールハイマー演出(初演2001年)で、レッシングという、いさかか渋すぎる素材ではあるものの、「演出」というものが絞り出す舞台表現の可能性という点で、ほとんどアゼンとするほどに感じ入らせてくれる美的緊張感の迫力は、個人的には最大限にオススメ(!)の舞台である。
 公演に伴って行われるアフター・トークやシンポジウム、リーディングの類も、それなりの観客が集まって、あちこちで行われた。それらの活動を支えたのが、実は「地味な」研究と翻訳である。まず、出版の点では三つを紹介したい。理論面ではレーマン『ポストドラマ演劇』(谷川道子他訳、2002年、同学社)、ベルリン演劇の現状に関しては新野守広『演劇都市ベルリン』(2005年、れんが書房)、そして「ドイツ現代戯曲選30」(7月末より、毎月三点ずつ刊行予定。論創社)およびドイツ文学誌『デリ』(現在4号まで。沖積舎)が、それぞれ現代演劇作品の翻訳を精力的に行っている。
 もうひとつの地味な活動としての研究面では、それらの翻訳やシンポジウムの準備作業の中から、ドイツ演劇について自由に語り合える場があると便利ではないか、という意見が何年も前から出ていた。そのような場の楽しさと難しさについては、イロイロと経験しているので、いささか躊躇しないでもなかったが、フランス演劇畑の「テオロス」という演劇フォーラムにならって、2004年4月、ドイツ演劇研究会を何名かの有志で立ち上げた。以来、二ヶ月に一回程度のペースで集まり、二作の新作を毎回あらかじめ読んで、あれこれと自由に検討し、その成果の一部は、以下のホームページにも載せているので、ご覧頂けると喜ばしい。
 ドイツ演劇研究会http://www.h2.dion.ne.jp/~iterao13/gekiken/index.htm
 このドイツ演劇研究会のメンバーから、研究のみに閉塞することなく、演劇現場とのコラボレーションをも目指すべきだとの意見もあり、いわばリーディングやシンポジウムの企画のための実践舞台ならぬ部隊としての活動も目指して、これは名前だけは勇ましく「ドイツ演劇プロジェクト2005」とした。
 とはいえ、現実には諸氏多忙の折から、様々な企画がワインの勢いで出されてはしぼむ有様だが、メンバーのお一人、柴田隆子さんの超人的ご努力によって、一般向けにドイツ演劇全般の情報を集約するホームページだけは立派なものが出来た。ぜひぜひご覧になって、ドイツ演劇を日本に広める一助として、『ひろの』の皆様にも大いにご利用頂きたい。
ドイツ演劇プロジェクト2005HPhttp://homepage2.nifty.com/famshibata/  

 掲載:「ひろの」第45号 2005年10月 ドイツ語学文学振興会会誌